「ソ連の領海をでたとき、乗客はほとんど全員、甲板に出て一斉に『ハティクヴァ』を歌い出しました。
今のイスラエル国歌です。それはもう本当に喜 びの爆発でした。
横にいた父は私の肩に手を置き、「もう大丈夫だ。これからは日本の天皇が私たちを守ってくれるだろう」と言いました」 「それを聞いて、私はそれまでなにも知らなかった日本が急に身近に感じ、天皇というのはそんなに偉大なのかと思いました。
私が今でも日本に親しみを感じ、信頼を寄せているのは、このときの経験によるものだと思います」 闇金相談 那覇「人道的見地から引き受けるべき」 ウラジオストックから敦賀までの船は、週1回定期運行していた日本郵船の天草丸だった。 ユダヤ難民の輸送業務は、全米ユダヤ人協会から依頼を受けたジャパン・トラベル・ビュロー(現在のJTB、以下JTBと記載)が担当した。 難民輸送の依頼を受けたJTB本社では「果たしてこの依頼を受けて良いか議論が戦わされたが、人道的見地から引き受けるべきとの結論に達し…」と関係資料に記載が残っている。